死の喪章_1

房総の夏は早い。五月も下旬となるともう夏である。山中由多加は漁師の吉田源三に礼を述べ、送る源三と肩を並べ坂道を下ると広い県道に出た。
山中は東都スポーツのレジャー・社会部に籍を置く記者である。彼はこの房総半島の最南端にある白浜の野島崎灯台沖に最近、円盤が出現するという社会ダネを追って来たのだった。彼自身、円盤自体信じないし、そのようなSFまがいの出来事は好まぬ方だった。もっとも彼は最近テレビや週刊誌で"オカルトブーム"に便乗し、やれスプーンを曲げる少年が現れたの、宇宙人と会話を交わしたなどとマスコミが騒いでいるのには、むしろうんざりしていた。自分がマスコミ人間であるのを忘れて…。
レジャー・社会部のデスク宇都宮に、
「おい山中、今度の白浜沖の円盤騒ぎはかなり信憑性があるんじゃないかな。各紙ともかなり取り上げているし、君もひとつマスコミ人間の本領を発揮して出掛けてみてはどうだい。たとえ円盤は現れなくとも"円盤に乗せられた白浜の住民"なんて記事もオツなもんだぜ」
山中はウツさんこと宇都宮デスクの声を背に東京発十時三十分の特急「さざなみ4号」に乗った。円盤なんてからっきし頭から信じてない山中にはむしろ
「初夏の房総の潮風も悪くないな。いっちょのんびりして来るかな」
という気があった。まさか彼がこんな重大なアクシデントに巻き込まれようとは、だれが予想し得ただろうか。
取材を終えた山中は、デスクの宇都宮のがっかりする顔を考えるとふと疲労を感じた。陽の落ちた野島崎灯台を後にした山中は旅館を予約していなかったことを後悔した。この小さな田舎町に突然降って沸いた円盤騒ぎに民宿もいっぱいだった。
「そうだ源さんがいる」
山中は学生時代世話になった千倉の吉田源三の事を思い浮かべていた。吉田源三は変わり者の漁師として通っていた。一流の私大を出た吉田は、一時は日本でも屈指の毎朝タイムスの東京本社に籍を置く敏腕記者だった。水俣病や昨今の公害騒ぎが起こり始めたころ、彼はさっと辞表を出してこの千倉で漁師生活を決め込んだのだ。
「源さん、なにも千葉の片田舎で漁師をやらなくても…」
そんな声には耳も貸さない男になっていた。山中は岩の多い海をながめながら、そんな頑固な吉田源三の顔を思い浮かべた。
「そうだ、源さんの所へ寄ってみよう」
山中は白浜から国鉄バスに乗った。男性的な岩場の露出した海岸線を三十分程走った。やがてバスは終点の千倉に着いた。山中は電話をしていなかった事を悔やんだ。千倉駅を降りた山中はとっぷり暮れた人気のない駅で記憶を頼りに吉田源三の家を探した。彼が吉田源三に再開出来たのは、それからさらに四十分も経ってからの事であった。

「昔は俺の事を変わり者扱いにしおった奴らも大勢いたが、今では皆んな茶飲み友達や。田舎はいいぞ、空気もうまいし、第一魚がうまい。公害のない所に住まんと、おい山中、お前さんは早死するぞ。青ちょろい顔して、好奇心だけは人一倍発揮してのう、お前さんもいっぱしのマスコミ人間になったか」
山中は潮焼けで黒光りのする源三の顔を見た。源三の顔にふと過去の自分が一瞬遮ぎったのだろう、寂しい表情になった。近所の茶飲み友達でさえ、この吉田源三の過去を知る者はいない-。
あれは山中がちょうど大学を卒業する夏の日だった。新宿の歌舞伎町のバー街で酔いつぶれ、右手には鮮血で染まった赤い小さな紙の束が握られていた。
「鐘だ、鐘だ、行け!インに詰まるな、外だ、外だ!」
悲痛に叫ぶ男の拳がブロックの壁を砕いたのだ。側を通った山中のシャツに血が飛び散った。一瞬山中は歩みを止め、立ちすくんだ。
あれから五年、山中は現在東都スポーツの記者として活躍している。五年前新宿の歌舞伎町で吉田源三を抱き起こし、介抱したのは山中である。翌日山中のアパートで目覚めた源三は空ろな目で山中をながめていた。
「昨日は随分出来上がってましたね。独り言で鐘だ、鐘だ!それ行けなどと大声を張り上げていましたが、一体あれは何ですか」
「学生のお前さんには用なしの事さ」
大学生であった当時の山中も決して真面目な青年ではなかったが、それ以来、鮮血に染まった車券の事は忘れていた。
源三も山中も久し振りの再会にグラスが進んだ。二本目のウイスキーの瓶の空を手にした源三はさすがに酩酊した様子だった。
「源さんまだ五時かね、もうすっかり明るいね」
山中は左手をオーバーに回した。
「そうさ、空気が澄んでいるし、チリひとつない空だ。房総の初夏の早朝はおいしさでいっぱいさ、東京と違ってな」
吉田源三は胸いっぱい深呼吸をした。潮風に乗ったオゾンが体中を通り抜けて行くようだった。
「源さん、ここはオゾンがいっぱいだが、東京には"おぞましさ"がいっぱいさ」
源三の好奇の芽をまたぞろ起こさせようと、山中はヘタなダジャレで答えた。源三の目は笑っていた。
広い県道に出て二人が別れの握手を交わそうとした時、突如、バーンという高音に見舞われた。驚いた二人に一瞬"まり" のように飛び上がった物体が二人の視界に入った。

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