死の喪章_2

「何だ、あれは」
そういってる間に車はエンジンの音をけたたましく立ててはるか彼方へ去ろうとしている。
「おい!待て、止まれ!」
源三は叫んだ。源三の声をかき消すかのように純白のセダンは海沿いの広い県道をひた走った。
「山中、ひき逃げだ!」
「救急車だ!」
「俺はすぐ電話してくる。この人を頼むぞ」
先程の高音とともに酔いも吹っ飛び、山中はヒザに震えの来るのを覚えた。
「もう救急車が来るころだ。この人には可哀想だが、このままの状態で動かさぬ方がよいのだろう」
吉田源三は屈み込んで、うつぶせになっているその顔をのぞき込んだ。源三は一瞬「おっ」と驚愕の声をもらした。山中はそれを見落とさなかった。
「源さん、なにか?」
「いや、なんでもないよ」
山中が言葉を続けようとしたとき、それは救急車のけたたましい警報にかき消された。
「おい山中、この間の"円盤に乗せられた白浜の住民"なかなかユーモアで、社会風刺が効いてて好評だぞ、今晩一杯いくか」
いや今夜は千島さんと話があるんです」
「またはずれ車券の注文かい」
山中は苦笑した。彼はレース部の競輪担当記者である千島を誘った。
「ヤマさんが出食わせたひき逃げ、その後どうなったの?」
「うん、所轄署の館山警察の方でもかなり捜査が進展している様子なんだけど、決め手に欠けて、壁に突き当たってるそうだよ」
「なにしろ早朝で目撃者は俺達二人だけだからね。それもかなり酔っていたからね」
「はっきりした目撃者がいないというのは致命傷だね」
「だが、世界に誇る日本の警察だ、じきに解決するよ」
「ところで千島さん、被害者の方なんだけどね、ヒモトカズオというA級の競輪選手というんだけど…」
「ヒモト?」
「ああカモトピンダンの事かな」
「…」
「火の元と書くんだろ」
「そうなんだ」
「火元一男なら知っているよ。千葉の選手だろ。なにしろ彼のデビューのころは鳴り物入りで相当騒がれたもんな。"火の玉レーサー"なんてスポーツ紙はこぞって書き立てたもんだ。もっとも最近は肝臓を悪くしたとかでA級2班に格下げになったがね。それで事故というのは…」
「うん、彼はあの日早朝の街道練習をしていたんだ。それで交通事故。つまりひき逃げに遭ったらしいんだ」
「競輪選手の街道練習中の事故は案外多いんだ。ほら君も知ってるだろ、三日前も北海道であったしな…」
山中は事故の直後、吉田源三の驚愕した顔が忘れられなかった。あの顔には何かがある、きっと何かが…。あの時の源三の顔はただ事ではなかった。それは一体何なのか-。

山中は吉田源三に電話した。
「うまい魚とうまい空気が吸いたくなったよ、源さんまた頼むよ」
「お安い御用だ。歓迎するぜ、一杯やろう」
山中は二日程休みをもらうと、房総千倉に向かった。山中が千倉に出向いたのは魚が目的ではないのはいうまでもない。当時の事故の陰にある"何か"を探るためだ。
「源さん、何だか元気がなさそうだなあ、体でも悪いの?」
なぜか吉田源三は急に老け込んだ感じだった。
「ところで源さん、この間の事故だけど、あの被害者の火元一男という人、源さん、ひょっとしたら知り合いじゃないの?」
山中は一球を投じた。源三の顔が一瞬変化したのを見逃さなかった。山中は思惑が当たったと思った。
「俺はこんな田舎に住んで、魚師をやってんだ。とんとバクチも競輪も縁がないよ。まして競輪の選手なんて知る由もないだろ」
「おや源さん、被害者の火元一男が競輪の選手とはよく知ってるね」
「当たり前だ、館山署の刑事さんが教えてくれたんじゃないか」
吉田源三は妙にそわそわしていた。
ふと山中は五年前、新宿の歌舞伎町で鮮血に染まった車券の束を握り締めていた吉田源三の姿がオーバーラップした。
「源さん、実はね、俺、あれから社に帰って、レース部の千島記者にいろいろと聞いてみたんだ。千島さんが調べてくれたところによると、五年前、九州の小倉競輪場でレース中に落車事故があり、一人の選手が死んだんだ。あの時の死んだ吉田雄久選手は、ひょっとしたら、源さんの息子じゃないかと思ってるんだよ」
実をいえば山中には「そうじゃないか」というより「そうだ」とはっきり判っていた。なぜならば、山中は千島を通じて吉田雄久の父親の名を調べさせていたのだ。
「山中、君はそこまで俺の事を知っていたのか」
ふと源三の顔が曇った。源三は山中から視線をそらした。
やはり何かがあったのだ-。

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